250万円には戻れません

子どものころ、こんなクイズ番組があった。もう今は特番でしか見なくなったが、「ファイナルアンサー?」は流行語になったような気がする。この前家庭教師先の中学生にこれをやったら「何それ?」って言われて、世代の差を思い知ったものだった。

 

解答が進むにつれ、問題が難しくなり、それに応じて賞金も上がっていく。100万、250万、500万、750万、そして1000万円。たぶんこんな賞金設定だったが、挑戦者は1000万を目指していく。意地悪く解答発表を何十秒も溜めたり、小切手を破り捨てたり…あの司会者もなかなかいい役をしている。子どもの私には怖く映ったものだった。

 

ずっと疑問だったことがある。

 

「いや250万円で十分やろ」

 

それでもドロップアウトせず、500万円に挑む。間違えたら100万円になる(たしか)し、その500万円の問題に自信があるわけでもない。50/50を残しておいて使ってようやく期待値が250万以上になるが、たとえ4択だったとしても、一縷の望みにかけて、散る。100万の小切手を持って帰る姿を何人も見た(この500万問題で間違える人が多かった気がする。だから頭の中には250万という数字が残っている)100万でも子どもの私には、というか今の私にとっても大金であるから十分ではあるが。

 

それでも挑むのが挑戦者ってものなのか。それとも番組側からの圧力か。そんなところだろうけど。Wikipediaを見ていると、初めて1000万問題に到達した人はドロップアウトして750万円を持ち帰ったらしい。実に賢いではないか、と。その人がドロップアウトしたあとで一応出した答えが合っていたのにもかかわらず、である。

 

自分で言うのもなんだが、私は決断ができない。安全な道を別に用意してからチャレンジするような性格で、大学入試なんかはまさにそうだった。今も変わらないから、決断を求められるとつい躊躇ってしまう。それでも決断しなければいけないときはあって、そういうときいつも、みのもんたが脳内再生される。それでいいのか、もう戻れない、と。今のところはぜんぶ11月の例の仕事に向けたことだけど、それが頭の中を占める割合が大き過ぎて、最近はみの氏の登場頻度も増えたように思う。自分ひとりでみの氏を振り切れないから、彼女や友人にもはや愚痴のようにこぼして、やっと決める。

 

それでも、逃げ道を用意しなかったのは、本当にこだわりのあることだから、なのだろうか。あのクイズの参加者と一緒で。そんなことをつらつら考えていたら、もうあと1ヶ月になった。

 

そういえば例の1000万クイズ、「初代国連総長の出身国」だなんて、国連オタクにしかわかるまい。一介の国連オタクとしては、あと1ヶ月こだわっていこうか、と背中を押されたようだった。頭の中のみの氏がぼくにくれるのは、100万かもしれないけれど。