すぐ季節のせいにする

いきなり気温が下がってきて、秋だなと感じる。単に気温が下がったというよりも、夏の頃の空気とは違う気体でできているんじゃないかと錯覚してしまうほどには冷たくなった。

 

衣替えをしなければいけない。

わかっている。わかってはいるが、夏の服で溢れかえった部屋を掃除し、秋冬物の服を引っ張り出すのは労力が必要で、仕方ないから次の連休に回そうか、と思っている。先延ばしにすることで、人はひとときの安寧を得る。

とはいえ寒さは断ち切れない。何が安寧だ。幸いすぐに出てきた長ズボンとカーディガンで今週はやり過ごしてきたが、どうにも足が寒い。爪を怪我して治療中なので、靴を履くことができずにサンダルで外出するから、すこぶる冷える。あのとき皮膚科でかけられた液体窒素に比べればこんな寒さマシじゃないかと思いたいのだが、いや、液体窒素並みの温度じゃないのか、という思考回路になってしまう。

これしきの温度で寒いと言うと、北海道の人に怒られそうである。そういえばもう雪が降っているらしい。

 

ここまで言ったものの、秋は好きだ。季節の中で一番好きかもしれない。それはきっと消去法的な意味での好きなのだが、夏は暑いし、冬は寒い。春の、どうも何かが始まるとかいう空気も嫌いだ。同じ時間なのに何が心機一転だ。その点秋はいい。彩りも、春とは違って様々だし、それらはすべて無に帰すところがまたいい。去年行った昭和記念公園にでもまた行こう。今度はいいカメラを持って。

 

人はすぐ季節のせいにする。春には何かを始めるための言い訳を求め、秋には哀愁の言い訳を求める。そうかと思えば食欲だの読書だの勉強だの、秋のカバー力は凄まじいものがある。

これほど季節に意味を与えるのは日本人くらいだ、なんてよく言われるが、それもどうなんだろう。少なくとも中学の時にお世話になったアメリカのホストファミリーは秋から冬に変わろうとするこの季節を好んでいたし、春をSpringなんて言うあたり、イギリス人もなかなかじゃないか。

 

今までを振り返ってもいろんな秋があった。初めて外国に行ったのもそうだし、一番大きな絶望を味わったのも、ちょうどこの季節だった。その絶望に再び足を踏み込んだ結果、逆に多くの人に絶望を与えたと思うと、罪深いのかもしれない。

その分いい経験を、とは思って仕事をしているが、そうすると実験のレポートがまだ白紙であることに気づく。時間は有限だ。何が夜長だ。夜ふかししたら1限に遅れることくらい、誰だって知っている。

 

ユニクロで学生証をふりかざしてもらったヒートテックを着るにはまだ早いと、夏の服と冬の服が入り混じったタンスにしまう。いい加減片づけるか。

 

秋だから。