文章を書くということ②

こんばんは。まだこんにちはかもしれません。

 

先日ツイッターで回ってきた画像「作文のつまずき」についてです。少し気になったので図書館で元の本(「学ぶこと・教えること:学校教育の心理学」というタイトルです。画像自体は別の論文からの引用でした。)を読んできたんですけど、その本自体は教育論で、これまで大学の講義でも教育論には触れてこなかったため背景知識は少なかったですが作文の部分だけとりあえず読んでみました。

いろんな作文、というか小論文をこれまで見てきましたが、良い文章はやまりこれらの「つまずき」に引っかかっていない、あるいは乗り越えてきたのでしょう。逆に、文章表現などどこか引っかかる文章というのは、だいたいこの「つまずき」に分類されているように感じました。

そしてそれらはこれまでの彼らそれぞれの受けてきた指導、あるいは彼ら自身の気づきもあるでしょうが、それらに起因しているようです。私自身小中高とどういった作文指導を受けたかなんてあまり覚えていませんが、そういったものの影響を受けているのかもしれません。

 作文は自己表現のツールである(と筆者は述べ、書くことの「楽しさ」を説いている)という話らしいんですが、最初読んだときは必ずしも小論文の答案や論文などにはあてはまらないようにも思いました。

 

ただ、よくよく考えてみると答案も自己表現のツールといえるかもしれません。小論文に限らず、たとえば数学なんかでも答えの途中経過を書くことで自分の考えの道筋を示します。別解で解いたときなどがまさに強い自己表現でしょう。

小論文ももちろんそうですが、答案自体が自己表現であるというのは、試験、こと入学試験という世界においては理にかなっていると思います。試験は一発で決まるため、できるものなら面接したいだろうし、これまでどれくらい勉強してきたかとかを見て判断したい、ということもあるでしょうが、一方で答案自体が自己を表出させるものならば、そこから読み取れるのは単に丸かバツかに留まりません。

 

文章を書くということについてはまだまだ、他の側面からも考えてみる余地がありそうなので、結論を出さずに先にのばしてみようと思います。もしかしたら次回の私は今回の投稿を全否定して全然違うことを書くかもしれません。この文章自体よく考えて書いているものでもなく徒然なるままに的な感じなので…思慮が足りない部分が後から見えてくるものだと思います。

 

それでは。